よく分らないものであれば、普通は、避けてしまうのでしょうが、こと、この有機ゲルマニウムに関して言えば、私たちは、よく分らない、不可解なところが、逆に、ちゃんと知りたいという意欲をかきたてられたように思います。
さて、前回は、私たちが感じた有機ゲルマニウムの不思議さ、不可解さは、物質として見た場合に、“収まりの悪さ”や“はみ出すもの”的な印象を抱かざるを得ないからではないかということをお話ししました。
今回、もう1つ、有機ゲルマニウムに感じる不可解さの原因として、どうしてもお話ししておきたいことがあります。それは、当時も、そして、今も、この化合物が世に出た経緯を説明する際に感じる、ある種の“飛躍”のことです。
もともと、有機ゲルマニウムは、サプリメントとしても、医薬品としてもさほど知られているわけではありません。唯一、半導体の材料に使われているという印象くらいでしょうか。ところが、有機ゲルマニウムについて語る際には、そこから、いきなり、身体に有用な物質になるのです。それも、“驚異の”とか、“奇跡の”というような形容詞がつけられて、です。
このように、電子部品の材料の半導体である元素の1つ、ゲルマニウムが水に溶ける化合物として人体に入ると、さまざまな有効性を示すようになるということに、どうしても、ある種の論理的な“飛躍”を感じてしまうわけです。
誤解をおそれずに言えば、その“飛躍”が、浅井一彦という工学博士の啓示的なひらめきによるかのごとくに表現されているように思えてならなかったのです。
そのように、飛躍せざるを得なかったのは、私たちの推測ですが、おそらく、有機ゲルマニウムを語る際に、とりあえず、原典となるのは、浅井一彦博士の著書、「驚異の元素 ゲルマニウムと私」に頼るしかなかったからかもしれません。なぜなら、どの有機ゲルマニウムに関する書籍やサイトをみても、判で押したように、この書物を引用していたからです。
戦中戦後という時代には、よくある話しなのかもしれませんが、波乱に富んだ浅井博士の人生は、平和な時代しか知らない私たちにとっても、とても興味深いものでしたし、氏のゲルマニウム研究にかける情熱は凡人のそれではなかったようにも思えます。また、彼の志や人格の高さ、人間的な魅力も十分に感じるところではあります。さらに、浅井一彦博士は、ゲルマニウムという物質を人体に入って安全に作用さるような化合物に合成することに成功されたわけですから、その功績は大きいことに違いないわけですが、“飛躍”を浅井一彦博士の運命的なサクセスストーリーだけにスポットを当てて語られることは、有機ゲルマニウムの認識を歪めてしまいかねないように思ったのでした。
要するに、当時、そして、今も、この“飛躍”が、まるで、一人の偉人の啓示的なひらめきであったがごとくに表現されることが多いようで、このことが、正しく理解を阻害している一因にも思えたのです。
そこで、まずは、私たち自身が、“飛躍”に納得できる道筋をつけることから始めようと考え、可能な限り、この化合物の歴史を追いかけることにしました。
そして、「驚異の元素 ゲルマニウムと私」から、いったん、離れることから私たちの有機ゲルマニウム研究がスタートしたのです。 |