★終戦後の日本にさかのぼる
私たちは、有機ゲルマニウムに対して抱いていた得も言われぬ不可解さや胡散臭さを解消し、正しく理解、認識するためには、どうしても、この化合物が世に出た経緯を知る必要があると考えました。
事の発端は、終戦後の日本にまで遡ります。その頃の日本、だいたい、 1950年代、終戦から数年経った頃ですが、当時、ゲルマニウムは、ある意味、日本人の希望の光であった、と言っても過言ではないかのような、“ゲルマニウムフィーバー”があったのです。今の日本人には到底、知る由もありません。
それは、 1948年に、アメリカのベル研究所の研究グループによって、ゲルマニウムの半導体としての性質を利用して、トランジスタが発明されたことがきっかけになります。
このトランジスタこそは、その後のエレクトロニクス工業の花形となったことは周知の通りです。なにせ、ラジオやテレビが、それまで使っていた真空管がこのトランジスタにとって変わることによって、小型化し、耐久性が増し、飛躍的に性能が向上したものですから、この電子部品の将来性への期待は、相当なものだったことは想像に難くありません。
当時の日本は、ごく自然な流れとして、敗戦からの復興の手段の一つとして、このエレクトロニクス技術の確立を掲げるようになります。そして、そのために、トランジスタの原料となる良質のゲルマニウムの国内調達が、国家としての喫緊の課題になったわけです。このような状態は、アメリカやヨーロッパでも同様で、ゲルマニウムの安価な量産方法の開発に、各国はしのぎを削っていたのです。おそらく、時代の要請から、この頃のゲルマニウムに賭ける思いは、現在のIT技術へのそれとは、比べものにならないくらい熱く、切羽詰まったものだったのでしょう。
当初、日本では、ゲルマニウムの調達は海外に頼っていたものの、相次いで禁輸措置がとられていくに及んで、 1952年の春に、文部省や工業技術院から国家予算から研究費が拠出され、日本学術振興会の半導体材料委員会から、東京大学の片山、木村両教授が中心となって、「ゲルマニウム研究委員会」という組織がスタートし、日本で得られる資源からゲルマニウムを生産する方法を研究するグループが立ち上げらました。メンバーは約30名、大学や民間企業の、当時の日本を代表する研究者が集められました。
そのメンバーの一人として、後に、有機ゲルマニウムの合成に成功した、当時の(財)石炭総合研究所の所長、浅井一彦博士が加わっています。浅井博士は、戦前にドイツに留学、石炭の研究に携わり、当時の日本での石炭組織学研究の第一人者でした。石炭の専門家が、このゲルマニウム研究委員会に加わったのは、ドイツやイギリス、アメリカから、さまざまな製法が伝えられていたのですが、唯一の国内調達可能な鉱物である石炭からゲルマニウムを得る方法が最も有望視されていたからです。
実際に、研究会がスタートした翌年には、(財)石炭総合研究所は、東京ガスの大井工場から提供された石炭を燃やした際の廃液からゲルマニウムを取り出すことに成功し、東京通信工業(現在のソニー)に提供されています。その東京通信工業(現ソニー)は、 1954年にトランジスタを国産化し、1955年に、世界に先駆けて、トランジスタラジオの商品化に成功しています。
石炭からゲルマニウムを取り出すという製法は、スタートにおいては、注目され、それなりの実績もあげたようですが、電子部品の原料として使用に耐えうる純度のゲルマニウムを得るには、コストがかかりすぎることが、次第に判明したようです。
このように、日本の復興のためのゲルマニウムの国産化という当時の国策が、ゲルマニウムという元素に熱い視線を注がせることになったのです。
★ゲルマニウムのもう1つの顔
実は、ゲルマニウムがトランジスタの原料に採用されるよりも以前に、この元素の生理活性作用、要するに、体内で有益な働きをすることが、アメリカで発見、研究されていたのです。 1920年代の始め頃から、ヨーロッパを中心に、ゲルマニウム化合物の生理作用の研究がなされており、1922年には、アメリカの学者によって、二酸化ゲルマニウムの赤血球、ヘモグロビンの増加作用が確認され、貧血症への治療に利用され、その効用が報告されています。
話しは、横にそれるのですが、この二酸化ゲルマニウムは、確かに有用な作用もあったのですが、同時に毒性もあって、その後、日本で有機ゲルマニウムのブームに乗じて、この二酸化ゲルマニウムを販売した業者が現れ、死亡事故を起こしています( 1985年)。
さて、ゲルマニウムがトランジスタの材料となったことで、国家的に注目されるようになって、この元素の生理活性作用にも、スポットが当たるようになったのです。
そして、前述の国家予算によって立ち上げられたゲルマニウム研究委員会において、ゲルマニウムの製造や分析、精製技術の研究が重ねられていく中、医療目的への利用に関する研究も実施されています。
東大医学部の物療内科においては、悪性貧血へのゲルマニウムの有効性が研究されたり、さらには、順天堂大学病院では、なんと、結核への有効性の研究も実施されています。
このように、戦後の日本という、今では、想像できない時代の空気が、ゲルマニウムという元素を日本人の希望の光に押し上げたことは間違いありません。 1954年の第19回国会の電気通信委員会において、委員長代理である原茂氏は、その席上、「原子力も重要ではあるけれども、ゲルマニウムはこれに相当するほど重要なものであるし、国家としても思い切ったこれに対する処置を考えるべきである」と述べています。
有機ゲルマニウムを理解するためには、どうしても、この時代の“熱”を知っておく必要があるのです。
★パズルが埋まる
このような経緯を知るに従い、それまで、私たちの頭にあった有機ゲルマニウムの出自の不可解さは、次第に霧が晴れていくように、腑に落ちていったのでした。
※参考文献:衆議院会議録 第 19 回国会 電気通信委員会第6号、第 19 号 |